プロメテウス解剖学アトラス 解剖学総論/運動器系 第3版(他2巻)
『プロメテウス解剖学アトラス 解剖学総論/運動器系』が2016年末に改訂された。日本語版は第3版だが、版の番号がドイツ語の原著とズレていて、原著第4版に対応する。英語版は改訂が遅れているから、日本語版はドイツ語原著に次いで新しいことになる。
日本語版の他の2巻はまだ第2版だが、いずれ改訂されるのだろう。
書籍としてのボリュームは圧倒的だ。3巻合わせると、『グレイ解剖学』や『グラント解剖学図譜』の2倍になる。陸上競技場のトラックをページで埋めると、100メートル近くなる(トラックの幅は1.22メートル)。
原著版元のThieme社はドイツの医学系出版社。日本では『解剖学アトラス』、『図解 解剖学事典』、『局所解剖学アトラス(絶版)』が知られ、いずれも実際の標本に取材した美しいイラストが特徴だった。
『プロメテウス解剖学アトラス』の原著『LernAtlas der Anatomie』3巻は、2000年代半ばに相次いで出版され、その描き下ろしのイラストのクオリティと数量は、初版から圧倒的だった。
「King of Atlases」といえば『ネッター解剖学アトラス』だが、それに迫るものだ。『プロメテウス』のために制作されたイラスト点数は、初版でも5,000近い。ネッター氏の生涯に制作したのが4,000点といわれるから、すでにそれを超えている。
『ネッター解剖学アトラス』はもともと製薬会社の販促パンフレットの挿絵などのコレクションからできているので、書籍にまとまると文脈上の論理性に欠ける傾向がある。
一方、『プロメテウス』の図は、2名のイラストレーター、Markus Voll氏とKarl Wesker氏による「スクラッチビルド」。スッキリと整理されながらリアルで精細なイラストは、「美術」の「スーパーリアリズム」を連想させる。アドビのアプリとWacomのタブレットで制作されている。その技法を主に開発したのがWesker氏だ。
主に内臓系をVoll氏、運動器や神経系をWesker氏が担当している。作風に各々特徴はあるが、タッチや色調がよく標準化され、全体として統一感がある。皮下組織の文様など、パターンとして定義されたのが使われることもある。共作のイラストもあるようだ(Wesker氏の描いた体壁のレイヤーにVoll氏の描いた内臓のレイヤーを重ねるなど)。
Wesker氏が学生時代に解剖学を学んだ教科書のうちで、もっとも好きだったのが『解剖学アトラス』だったという。この本のGerhard Spitzer博士によるイラストは、ペン画ながらリアルで精細。『プロメテウス』の図はそのレジェンドを継いでいる。
骨格のイラストの上に血管、筋、内臓、体壁などのレイヤーが重なって一連の図が作られるなど、論理が通っている。それぞれの図は系統解剖学的。実際の標本を参照したには違いないが、理想化・観念化されている。描写がリアルだが、個別の「事実」とは異なる。解剖標本そのものをスケッチし、皮下組織や結合組織まで描かれている、『ネッター』や『グラント』のリアリティーとはちがう。
全体は、系統解剖学でも、局所解剖学でもない、独自の構成。始めに総論的な系統解剖学の章がある。続いて身体の大まかな部位に分けられ、そのなかで、系統別のテーマが並ぶ。
どのページも見開きでワンテーマになっていて、図のそれぞれに見開き内での意図が定まっている。イラストの美しさも相まって、理解が進む。本のボリュームは大きいものの、論理的にもデザイン上も情報が小さなチャンクになっているから、読み続ける(見続ける)のにストレスを感じることが少ない。
解剖学総論/運動器系
第1巻は総論と運動器系。運動器系には、運動力学が取り込まれている。医師・医学生だけでなく、理学療法師・作業療法師にも重用されるようだ。
ドイツ系の解剖学書らしく、総論はヒトの系統発生・個体発生で始まる。本文中で反復説は否定されているが、ヘッケルの図が使われている(現在では類似性が作図上強調されすぎている、または捏造、と考えられている)。
肉眼解剖だけでなく、必要に応じ組織学や生理学にも言及される。組織像も緻密に描き込まれたイラスト。
総説に続いて運動器系。全体に、その働きや仕組みを、形態学と力学に基づいて理解させようとの意思がある。
第3版(原著第4版)の改訂では、臨床上の研究の発展を取り入れたり、臨床応用の基礎になる解剖学の記載が増えている。たとえば、正中環軸関節まわりの靱帯の組織変化はそのうちの一つ。
鼠径ヘルニアの手術は新米外科医が始めに経験する手術の一つだが、鼠径部の解剖をきちんと理解していないと適切な(過誤や再発にならない)手術はできない。臨床で注目される概念も取り入れて図説されている。
膝関節の前十字靱帯は、それが二つの束から成るという、整形外科での概念が取り入れられている。
臨床で画像診断が重要な役割を演じるところでは、本書でも複数のモダリティーで説明される。
胸部/腹部・骨盤部
胸部、腹部、骨盤部の体壁と内臓。Voll氏のイラストが多い。
第1巻と同様、系統発生と個体発生から始まる。
胸腹部・骨盤部の解剖では、個々の臓器の形態や機能だけでなく、相互の位置関係が重要。ひとつの臓器の病変が周辺や脈管のつながる遠隔部に影響を与えることがあるからだ。
胸腹部や骨盤部の診療では、医用画像が多用される。本書では各モダリティが適宜紹介される。
巻末には、付録が2つある。ひとつは、各臓器ごとの脈管と神経のまとめ。外科手術やがんの診療では、これらの知識が前提になる。
もうひとつの付録は、各臓器のまとめ。
頭頸部/神経解剖
頭頸部の肉眼解剖と、脳・脊髄の神経解剖学。頭頸部は小さな領域に複雑な構造がひしめいていて、学び難い。神経解剖学は構造と機能とを結びつけにくく、未知なことも多いので、さらに困難だ。そのため、他の2巻に比べて学習者向け、つまり試験対策に役立つような図や表が多い。
頭頸部の診療ではCTやMRIが多用される。断面解剖の図が多く掲載されている。
神経解剖学でもまとめの図が多い。
巻末には伝導路や神経核のまとめの表がある。ここでは、伝導路が「回路図」で表現されている。
誰が本書で学ぶべきか
誰が本書で学ぶべきか、原著第4版の序文の最後の文でわかる。
読者諸氏の成功を祈念する
つまり、本書は、現役の学生にしろ卒後の医師にしろ、プロとして身を立てるつもりの人のためのものだ。
実際、本書には他の解剖学書にみられない図や概念が多いが、いずれも臨床上重要な項目を解剖学から基礎づけようとするものだ。一方で、これだけのボリュームでありながら、大きな解剖学書にありがちな「重箱の隅をつつく」話題には全く触れられない。(イニオン、アステリオン、頭頂切痕骨は、本書にはでてこない。)プロの臨床家には雑事でしかないからだ。
解剖学実習で役立つか
解剖学実習に利用するのにどうかというと、万人には、との答えになろう。まず大きすぎる。構成が局所解剖学ではないし、実習とは直接関係しない項目もあるので、必要な図を探すのにページ繰りが大変だ。不可解なことに截石位での会陰部の図がほとんどないので、同部の解剖では役に立たない。『プロメテウス解剖学 コア アトラス』や、『グラント解剖学図譜』のほうが使いやすいはず。第3巻はまとめの図が多いので、授業と合えば試験対策に役立つかもしれない。
本書は普通のアトラスより説明豊富だが、教科書のかわりにはならないだろう。序文自体にそう書いてある。長い文章でしか記載できないものも、解剖学の概念にはあるものだ。
一方で、美しい解剖図と、プロの世界まで見通せる内容は、医学修得のモチベーションを高めてくれるだろう。教員が授業で言わなかったり、知らなかったりすることを知るのは、気分のいいものだ。机上のスペースにも予算にも余裕があるなら、手の届くところに広げておいてみたい。
電子書籍
『プロメテウス』の英語版には、WinkingSkull Proへのアクセスコードが付属していて、ウエブ上の画像や練習問題を使える。ドイツ語版では、電子書籍やiOSのアプリもある。本書は大きく複数巻なので、電子化による携帯性や検索性のメリットが大きいはず。日本語版でも検討してもらいたいものだ。
参考
CBT対策、国試対策の参考書も含めて比較すると下図のようになる。解剖学や生理学が畏れるに値しないのがわかる。
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