虫垂炎の痛みがなぜ臍のまわりなのか
腹部の解剖学実習では、関連痛も合わせて学んでいきたい。
内臓の傷害は、その内臓の場所とは異なる部位に痛みを感じさせることがある。これを関連痛(放散痛)という。たとえば、虫垂炎は初期では、臍のまわりのぼんやりと鈍い痛みとして自覚されることが多い。虫垂は右鼠径部にあるのだから、関連痛を知らないと診断を誤ってしまうかもしれない(アイキャッチ画像参照)。だから重要だ。
関連痛がどうしておこるのか、それを説明するのに有力なのが収束説(Convergence theory)だ。これを覚えておくと、関連痛と思われる痛みを訴える患者で何が起きているのか、筋立てできるようになる。
と、偉そうに言ってみたものの、話は『グレイ解剖学』や『ガイトン生理学』に書かれている。テキストを買ったらちゃんと読もう。
ここでは腹部消化管の関連痛をみていこう。参考になるテキストの図表のサムネールと参照先を入れておく。
話を元に戻そう
腹腔には消化器系の器官がたくさん詰め込まれている。複雑で分かりにくいけれども、発生の初めのころは単純な管、原始腸管だったのだから、そこに立ち返って話を整理しよう。
平らな三層性胚盤の周囲から折りたたみがおこり、外胚葉が体表、内胚葉が消化管の内腔に向いた体を作る。内胚葉でできた管が原始腸管で、ここから腸管や消化腺ができる。それをとりまく中胚葉は平滑筋、結合組織、漿膜になる。神経外胚葉から遊離した神経堤細胞は、腸管に分布する神経になる。
『ムーア人体発生学 原著第11版』図5.1参照
栄養動脈で区分できる
原始腸管は3つに区分される。頭側から順に、前腸・中腸・後腸だ。中腸が巻き込みの中心で、そこから卵黄管がT字型に伸びる。卵黄管はいずれ消える(稀にメッケル憩室として残ることもある)。
この区分は、腹部では動脈の栄養領域が決める。前腸は腹腔動脈。中腸は上腸間膜動脈。上腸間膜動脈は中腸回転の軸になる。後腸は下腸間膜動脈。神経はこれらの動脈に沿って腸管に分布していく。この区分は成体まで受け継がれる。
『グレイ解剖学 原著第4版』図4.122参照
腹部の前腸は、胃から十二指腸の中央部、大十二指腸乳頭までになる。そこから発生する肝胆膵も前腸だ。
中腸は十二指腸後半から、空腸、回腸、上行結腸ときて、横行結腸の右から2/3あたり。
後腸は、横行結腸の左1/3から下行結腸、S字結腸、直腸まで。
遅い痛みと速い痛み、臓性痛と体性痛
痛覚は、局所の侵襲を神経終末が受容することから始まる。内臓からの痛覚を伝える神経線維はC線維と呼ばれる。C線維は無髄であるために伝導速度が遅い。0.4-2.0m/sとされる。この痛覚を遅い痛みといって、局在がはっきりせず、鈍く、重苦しく、持続的な痛みだ。内臓由来の痛覚はC線維を介する遅い痛みで、臓性痛と呼ばれる。C線維は他の感覚神経と同じく後根神経節に細胞体があり、脊髄の後角に入って二次ニューロンに刺激を伝える。
一方で、体壁や四肢の痛みをまず伝えるのはAδ線維だ。有髄線維で、伝導速度が4-36m/sと、C線維に比べて一桁速い。この痛覚を速い痛みといって、局在がハッキリした、鋭い痛みだ。持続性は少ない。Aδ線維も脊髄後角に入って二次ニューロンに伝わる。
体壁や四肢の痛みを体性痛という。体壁には、Aδ線維とC線維が共在し、速い痛みと遅い痛みが混在する。速い痛みは傷害の原因からの素速い忌避行動を起こす。遅い痛みは傷への意識を持続させて、その原因を取り除く行動につながる。
『ガイトン生理学 原著第13版』第49章参照
速い痛みは、チクチク、ヒリヒリ、ガンガンというようなオノマトペが使われることが多い。遅い痛みは、ずーん、どーんなどと表現される。ズキズキなどは両方に当てはまるかもしれない。
体性痛と臓性痛が同じ二次ニューロンに収束する
臓性痛と体性痛の線維は、いずれも同じ二次ニューロンにシナプスを作る。これを収束説という。
二次ニューロンの刺激が次のニューロンによって脊髄から脳に伝えられる。このとき、脳からみれば痛みの元が内臓なのか体壁なのか、判別できない。体性痛の方が脳には経験が多いので、臓性痛も体壁から来たように感じられてしまう。感じられる領域は、臓性痛の線維の脊髄レベルと同じレベルのデルマトームになる。これが関連痛だ。
つまり、腸管の区分ごとに、栄養動脈、臓性痛の脊髄レベル、関連痛の領域が対応することになる。まとめると下表のようになる。
腸管と栄養動脈 | 求心性経路 | 脊髄レベル | 関連痛の領域(9分割法) |
---|---|---|---|
前腸(腹腔動脈) | 大内臓神経 | T5 〜 T9 (T10) | 上腹部(心窩部) |
中腸(上腸間膜動脈) | 小内臓神経 | T9, T10 (または T10, T11) | 臍部 |
後腸(下腸間膜動脈 | 腰内臓神経 | L1, L2 |
『グレイ解剖学 原著第4版』表4.5、図4.182参照
『ガイトン生理学 原著第13版』図49.5、49.6、49.7参照
内臓疾患の痛みの「移動」は、関連痛から体性痛への変化である
内臓疾患ではしばしば、痛みの場所が変遷する。これは病変の拡大によって痛みが関連痛から体性痛に変化したことを示す。例を使って説明しよう。
胆道痛
急性胆嚢炎の最初の痛みは、重苦しく場所のはっきりしない痛みだ。胆嚢は前腸由来なので、心窩部に関連痛が現れる。胆嚢炎が周囲の壁側腹膜まで及ぶと、局所、すなわち右季肋部が痛むようになる。これは体性痛なので、局在のはっきりした鋭い痛みだ。
炎症がさらに横隔膜まで拡がると、こんどは頸から右肩にかけて痛みが現れることがある。これは横隔神経(C3〜C5)を介した関連痛だ。(右横隔神経が直接胆嚢の痛覚を伝えるとするテキストもある。)事ここに至ればもはや激痛で、どこが痛いなどといえる状況ではないかもしれない。こうした痛みの性状や部位の変化が特徴的なので、これを胆道痛(biliary colic)という。
急性胆嚢炎がまだ心窩部痛しか示していないときでも、局所を刺激してみれば診断につながる。右季肋部に圧痛があるかどうかを調べればよい(このときに強まる痛みは関連痛)。圧痛が弱くても、マーフィー徴候を試せる。医師が患者の右季肋部を圧迫しながら患者に深呼吸をしてもらい、痛みのせいで吸気が途中で止まったら陽性だ。
『臨床のための解剖学 第3版』図5.72 参照
『Irving’s Anatomy Mnemonics』参照
急性虫垂炎
急性虫垂炎の初期の痛みは臍周囲の鈍い痛みとして現れることが多い。局在があいまいで、どことなくお腹の真ん中辺とぼんやりしている。これも関連痛で、虫垂が中腸に属するためだ。この段階で虫垂付近を圧迫して痛みが強まるかをみれば、診断につながる。マックバーニー点、ランツ点など、いくつか目安がある(下図)。
虫垂は腹壁から遠いところにあるが、腹壁を十分深く押せば、腸骨と腹壁との間に虫垂を挟んで圧が伝わる。ちょっと触れて皮下脂肪がへこむ程度では、痛みは誘発されない。体内をイメージしながら手技を習おう。
炎症が周囲に進展すると、右鼡径部の痛みが生じてくる。虫垂周辺の壁側腹膜からの体性痛で、局在のはっきりした鋭い痛みだ。こうした臍周囲から右鼡径部への痛みの移動は、虫垂炎の痛みの特徴のひとつだ。
ときには右腸腰筋に炎症が進展することがある。股関節を伸展させたときに痛みが誘発される。これを腸腰筋徴候という。虫垂炎の他、腸腰筋膿瘍などでも現れる。
炎症が腹膜全体に拡がると、腹部を触診した際、腹壁の筋が緊張して硬くなる反射が現れる。筋性防御という。腹膜炎や腹腔内出血といった、重症で緊急の状態を示唆する。
なお、日本のサイトを検索すると、虫垂炎の痛みの移動を心窩部から臍周囲としていたりするのをみかける。海外の信頼できるサイトにはそうした記述はなく、病態生理からも説明しがたい。日本だけの都市伝説かも知れない。解剖学の試験でそういうことを書いたら不正解なのでよろしく。
- Appendicitis – MAYO CLINIC
- Appendicitis – Cleveland Clinic
- Appendicitis – NHS
- Appendicitis – StatPearls (NIH)
誘導尋問に注意
局在のはっきりしない痛みの部位を患者にたずねるときは、患者自身に痛みの部位を指し示してもらうと、客観的に評価できる。
部位の名前を医師が言ってしまうと、それに患者が誘導されてしまうかもしれない。患者自身でもよくわからないのだから、医師にみぞおち当たりですか、などと聞かれたら、そんな気がしてくることもあり得る。部位の名前、たとえばみぞおちなど、人によって捉え方が異なる。9分割法の心窩部(上腹部)を知っている患者は稀だろう。
小児急性虫垂炎にはガイドラインがある
小児急性虫垂炎は症状の進行が速く、 小児の急性腹症では最も頻度が高い。にもかかわらず、問診が難しいことはもとより、症状が非特異的なために、熟練した医師でも診断が難しいことがある。日本小児救急医学会がガイドラインを制定している。
先天異常も忘れない
先天異常のために虫垂炎の診断が難しくなることがある。肝下盲腸(中腸の回転不足)が背景にあるとき、虫垂炎と胆嚢炎とが鑑別しにくくなる。メッケル憩室炎もあり得る(中腸から伸びる卵黄管の遺残)。
- Anelay, BA, et al. 2024. “Malrotated Subhepatic Caecum with Subhepatic Appendicitis: Diagnostic Dilemma: A Case Report.” International Journal of Surgery Case Reports 123:110320. https://doi.org/10.1016/j.ijscr.2024.110320.
- Chong, HC, et al. 2016. “Malrotated Subhepatic Caecum with Subhepatic Appendicitis: Diagnosis and Management.” Case Reports in Surgery 2016 (1): 6067374. https://doi.org/10.1155/2016/6067374.
病変の移動による痛みの移動もある
大動脈解離では、解離の伸展に沿って、痛みの範囲が拡がっていく。心窩部から下腹部に激痛が移動していて、腹部に腫瘤を認めたら、腹部大動脈解離かもしれない。
尿管結石では、結石が流れ出す過程で尿管の狭窄部(起始部・総腸骨動脈との交差部・終端部)に引っかかるたびに、側腹部や背部から、鼡径部や下腹部、ときに会陰部まで、関連痛の部位が移動していく。
臍にバッテンの10
デルマトームの要所は覚えておくといい。中腸のTh10なら「臍にバッテンの10」、後腸のL1なら「コマネチの1」だ。詳細は下のテキストで:
参考文献
コメントを投稿するにはログインしてください。