医学用語の考え方, 使い方 – その医学用語の使い方、エビデンスありますか?
表紙はえんじ色の地に白抜きのゴシック体のタイトルと著者名、出版社のロゴのみ。しかもそれらが上縁と下縁に寄せられている。グロスPP加工(ポリプロピレン・フィルムを用紙に貼る加工)と無線綴じが何かの団体の年報のようで、地味だ。
いや、デザインの異常性が帯にある。
帯の文言は「サブタイトル」なのだろう。しかし帯なので、書誌情報には載らない。敢えて載せないのかもしれない。
ネオクラシックなデザインの明朝体(漢字はリュウミンPr6 B-KL+ひらがなはリュウミンStd B-KO)で「エビデンスありますか?」と挑発する。医者は、エビデンスあるかといわれると、反射的に身構えてしまうのである。周りには滲んだ感じの明朝体(秀英にじみ明朝StdN-L)で、本で取り上げられた用語が入っている。地は板張り? 帯の後ろ側はそのまま鏡像。すかしている。(ページ番号も滲んだ明朝、サムネイルは楷書体なのもチェック。)
同じ出版社の『器質か心因か』や『怪談に学ぶ脳神経内科』の装丁からすれば、このくらい構えておいてもいいとおもう。(横書きの句読点は本によるようだ—「,.」「、。」「,。」)
著者は精神科医。幼少のころから漢字が好きで、独学で医学用語の研究を続けていたという。辞書出版社の大修館書店の運営する「漢字文化資料館」というサイトで、「医学をめぐる漢字の不思議」という連載を持っていた。その記事の多くが、本書でまとめなおされている。
医学史とか用語とかはどうせ熟年になって言い出すことだと思っていたら、文章が若い。1991年生まれだった。第9回漢検漢字文化研究奨励賞最優秀賞を受けた論文「日本語医学用語の読みの多様性と標準化 ―「楔」字を例に―」は、医学科5年生のとき。m3.comにインタビュー記事が掲載されている(医療関係者限定、要会員登録(無料))。活躍してほしい。
解剖学は医学生がほぼ初めて習う医学であって、解剖学用語は将来習う専門用語の基礎になる。英語だけでなく、日本語の用語も覚える。読んでわかるだけでなく、書けないといけない。使ったこともないような漢字が押し寄せる。読みもわからないし筆順も知らない。
もしかすると、将来クイズ番組に医師枠で呼ばれるかもしれないから、変な字は書けない。しかし、医師の手書き文字は、国にかかわらず、読みにくい金釘文字が少なくない。受験勉強で自分用の崩し字ばかり書いてきたまま医師になるからだろう。そしてそれは悪性であり、治癒はむずかしい。
そういうわけで、本学の解剖のテストでは、手書き文字にもチェックが入る。そして、チェックするのに教員はちょいと勉強しないといけないので、漢字にも関心をもっているのである。
全体が5章に分かれていて、第1〜3章が総論、第4章が各論、最後の章が現況のまとめと将来展望。
- はじめに
- 医学用語の前提となる日本語・漢字の知識
- 医学用語総論
- 医学用語各論
- これからの医学用語
たぶん第4章から読み始めるのがわかりやすく面白いと思う。
しかし、そのあとでも先でもよいが、総論もおさえておきたい。
どちらでもいいが、なんでもいいわけではない
というのが著者の基本的なスタンスだ。ここはよく読んだ方がいい。
事細かにチェックする小中の漢字テストに馴化させられていたら、知らないことがおおく見つかる。たとえば、常用漢字の前身、当用漢字が、「いずれ漢字は廃止するけど当面は用いてもよい漢字ね、ここにない字は使わないようにな」というもので、常用漢字は「みんなが使う漢字をまとめといたよ、強制じゃないよ、参考にしてね」というのとは意図が違うなど。常用漢字では、字体には幅があって、「ハネるハネないとかどっちでもいいから、テストでバツにするのはよくないよ」というのも、もしかすると初耳かもしれない。漢字の歴史も初めてかもしれない。
漢字を調べ始めると、いろいろと疑問がでてくる。調べる典拠のガイドが有用だ。ネット検索は実際やるけれども、信頼できる情報までは至らないことが多い。
第4章では、表記や読みに問題のある用語がいくつか取り上げられる。雰囲気は「医学をめぐる漢字の不思議」でもわかる。
筆者の方法論は、通説や推測に頼らず、典拠を調べ上げること。帯にある「エビデンス」だ。
…(読者に)伝えたいことは「調べることなく、先輩などの発言を鵜呑みにして、先人を安易に誤っていると決めつけない」ということだ。(p.085)
いくつかみてみよう。
いずれも表題が問い、その下の「ポイント」が現時点の結論。そのあとが解説文。
たとえば、「癌」と「がん」。漢字にすると上皮由来のcarcinoma、かなにするとcarcinoma + sarcomaだというのは、実際、評者が医学生のときにも聞いたことがある。それに対して「漢字か仮名書きで意味が異なるのは専門用語としてはアカン」とはっきり言い切れるのは、深い文献調査があってのことだ。
「腔」のよみかた。ここでは、「くう」と読むのはまちがいとはいいきれないとの結論になっている。煮え切らないというのとは違う。調べ上げて間違いではなさそうだと推測できるところまではいったが、ハッキリとした証拠はみつかっていないから、誠実な結論として「断定できない」ということだ。なお、「医学をめぐる漢字の不思議」にもこの件についての記事があり、そこではより詳しく調べた市井の研究者のブログが紹介されている。
Physical examinationの訳語「理学所見」は誤訳かどうか。これは評者も誤訳かと思っていた。
最後の章では、医学用語のこれからが述べられる。医学用語は分野によりバラバラだったりして、まだ整理の途上のようだ。中国のほうがむしろ中央の統制によって、統一も電子化も進んでいるらしい。筆者は、日本の現状なりの展望を述べる。幸いに、筆者は用語委員会に招かれ貢献する機会ができたらしい。
最後に、評者のプロブレム別の参考書はこんな感じ—
字体や筆順を確認したい:
トメやハライに悩んだ:
自分の字を改善したい:
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