すばらしい医学
X(旧Twiter)では「外科医けいゆう」として知られた著者のベストセラー、『すばらしい人体』の続刊。
カバーには、本文にあるイラストがレイアウトされている。何が登場してくるか予測したりして、楽しめる。カバーを外すと一転、渋めの地に銀色のインクで印刷されている。昔の布装・箔押し・上製本の医学書のようだ。扉も銀色一面で渋い。
「はじめに」がちょっと長い。いいたいことは、前著『すばらしい人体』と同じで、「医学を学ぶのは楽しい、みんなにも知ってほしい」ということ。前著を読んだことがあったら、あとがきを先にチラ見したほうが、本書の企てがわかっていいかもしれない。
ネタバレ注意
前著はヒトの体ってすごい・すばらしいということだった。本書はそのアンチテーゼで、 ヒトの体もときに壊れやすいということから出発する。そして、でも医学は頑張った、すばらしい、というのが本書だ。
376ページの前著に続いて、本書も392ページある。目次をみただけでも、ネタがたくさんある。全体はそれなりにマッシブだけれども、数ページのまとまりでエピソードが語られている。概ね「ネタふりをする→解説する→教訓を垂れる」という構成になっていいる。パターンがわかってくると、ここはどんな教訓をかましてくるのか、楽しみになる。お茶をしながら午後から夕方にかけてくらいで読めるだろう。
全体が5つの章に分かれている。
第1章は、『すばらしい人体』の続きのような外伝のような後日談のようなネタ集。第2章は、歴史を変えた医薬。第3章は、麻酔法と消毒法で劇的に進歩した外科学のあゆみ。第4章は、ロボット手術に至る現代外科学。第5章は、それでも恐いいろいろなもの。
付録が二つ。参考図書の書評と、医学史の概論。
目次(クリックして全体表示)
はじめに
- 第1章 あなたの体のひみつ
- 立ちくらみはなぜ起こるのか
立ちくらみの謎 ◆ 自律神経の働き ◆ あなたが失神する理由 - 左右の目は違う世界を見ている
目をつむる実験 ◆ 3D映像と現代の手術 ◆ 弱視という現象 - 「せん妄」という意識の障害
突然の暴言 ◆ せん妄の症状と治療 - 鼻の中は意外な形
「鼻咽頭ぬぐい液」とは? ◆ 綿棒の挿入は難しい ◆ 鼻血はどこから出るのか? ◆ 鼻が「詰まっている」状態とは - 人体のもっとも「硬い」部分を知っていますか
ニンジンを木っ端微塵 ◆ 歯の危険性 ◆ 咬む力の「凶暴さ」 - 食べ物の通り道に迂回路はない
口から肛門まで ◆ 人体の交通機能の破綻 ◆ 「ステント」というツール - 吸う息と吐く息の違い
二酸化炭素はごくわずか ◆ 呼吸は意外にも「浅い」 ◆ 非効率的な呼吸という作業 ◆ 酸素欠乏の恐ろしさ ◆ 死ぬ寸前までやめることのない呼吸 - 喉の優れたしくみの功罪
「死因第六位」は意外な病名 ◆ もっとも恐ろしい「フタの感染症」 ◆ 「喉の摘出」を行う手術 - 日本人がアルコールに弱い遺伝的理由
エタノールとメタノール ◆ アルコールの代謝システム ◆ フラッシング反応とがんのリスク - 「心臓が止まる」とはどういうことか?
医療ドラマの気になる場面 ◆ 心停止は複数の状態を含む概念 - 大動脈が裂ける病気
バレー選手の悲劇 ◆ 異常な高身長になる病気 - 肝臓に脂肪が溜まる怖い病気
あまり知られていない病気 ◆ NAFLDが怖い理由 ◆ 脂肪肝を治す方法 - 消化液の驚くべき作用
消化液は便利なシステム ◆ 胆管と膵管 ◆ 時には私たちを傷つける - 便の硬さはどのように決まるのか
便の硬さと「ブリストルスケール」 ◆ 便の滞在時間と大腸の機能 ◆ がんによる症状の出方と便の性状 - なくても生きられる臓器、生きられない臓器
臓器の役割 ◆ 全摘すると補充が必要になる物質 ◆ 摘出するとワクチンが必要になる臓器 - 腎臓のすごい役割
水を飲んでも、ラーメンを食べても…… ◆ 腎臓の重要な働き ◆ 腎臓は、ろ過装置 ◆ 増えている慢性腎臓病 - 静脈の真相
バンザイの姿勢と静脈 ◆ 血管は何色をしているか? - 新しく生まれた現代の「外傷」
「ニンテンディナイティス」とは? ◆ ゲーム史を変えた新型マシンが生んだ疾患 ◆ さまざまなスポーツ外傷
- 立ちくらみはなぜ起こるのか
- 第2章 画期的な薬、精巧な人体
- 毒から生まれた新薬
ドクトカゲと新薬開発 ◆ 抗がん剤は化学兵器から生まれた ◆ 抗がん剤の効果と副作用 ◆ 神と悪魔の薬 - 歴史を変えた抗生物質
「ペニシリン」の発見 ◆ 狡猾な細菌の逃避手段 ◆ バンコマイシンという古の武器 - 日本で生まれた画期的な新薬
世界中で爆発的に売れた ◆ カビへの関心が生んだ新薬 ◆ アメリカの社会問題 ◆ コレステロールの働きと合成 - ホルモンを世界で初めて抽出した日本人
「アドレナリン」の発見 ◆ アドレナリンか、エピネフリンか ◆ 日本史に名を残す化学者兼実業家 - 奇跡を起こした新薬
「物質E」とは? ◆ さまざまな「ステロイド」 ◆ 副腎皮質ホルモンの働き - モルヒネとアヘン
モルヒネとギリシャ神話 ◆ 植物と痛み止め ◆ 痛み止めの暗い歴史 - 爆弾の開発から生まれた薬
「死の商人」の願い ◆ ニトロの不思議な作用 ◆ ニトロはなぜ薬になるのか ◆ 心臓の薬が持つ意外な「副作用」 - かつては治療薬のなかった胃潰瘍
胃潰瘍と手術の痕 ◆ 潰瘍はなぜできるか? ◆ 人類と酸の戦い ◆ 創薬のパラダイムシフト - ヒスタミンと「偽アレルギー」
「舌がピリピリする」 ◆ アレルギー症状の原因 ◆ 抗ヒスタミン薬の開発 - 胃腸炎で死んでいた時代
「平均寿命」の驚異的変化 ◆ 数時間で死に至る ◆ 何を注射すべきか - 牛の奇病から生まれた薬
奇病の原因を探れ! ◆ 人間にも重要な薬に ◆ ワルファリンの抗凝固作用の謎 ◆ スーパーラットの出現
- 毒から生まれた新薬
- 第3章 驚くべき外科医たち
- 外科治療のはじまり
がんとカニ ◆ 頭蓋骨に穴を開ける ◆ 瀉血とモーツァルト ◆ 病気と臓器を初めて結びつけた医師 - 感染症と手足の切断
「化膿」の正体 ◆ 悪い空気 ◆ 切断された数々の手足 ◆ 外科医と床屋 - 手術の早業と世界初の救急車
手術は痛みに悶えるものだった ◆ いかに素早く手足を切り落とすか ◆ 世界初の救急車 - ドリトル先生のモデルになった外科医
恐ろしい好奇心 ◆ 破天荒な死体解剖 ◆ 産科医の兄ウィリアム - 男爵になった外科医
「発酵」と「腐敗」の違い ◆ 後を絶たない傷の感染 - 「清潔」とナイチンゲール
かつて病院はあまりにも汚かった ◆ 統計学者、そして教育者 - 世界で初めて胃がん手術に成功した外科の巨人
病巣を切り取るだけでは終われない ◆ お腹の中は無菌の空間 - 医療現場でもっとも有名な道具
コッヘル鉗子と手術 ◆ ヨードと甲状腺ホルモン ◆ 意外に知らない甲状腺の働き - 人気の嗜好品だった薬物
コカインとコーラ ◆ 奇跡の麻酔薬コカイン ◆ 外科医の命がけの実験 ◆ アメリカ屈指の外科医ハルステッド ◆ 素手から手袋の着用へ
- 外科治療のはじまり
- 第4章 すごい手術
- 現代医療におけるメスの進歩
「メスください」 ◆ お腹が切り開かれるまでに見えるもの ◆ 電気メスの愛称は「ボビー」 ◆ モノポーラーと医療ドラマ - 器械で腸を切って縫う
「縫う」と「切る」を同時に行う ◆ 自動縫合器の凄さ ◆ 縫合器の歴史 ◆ 縫合不全という合併症 - 手術時のガーゼは超重要
ガーゼの置き忘れはなぜ起こるのか ◆ ガーゼを使う目的 ◆ 医療と滅菌ガーゼ ◆ 無理難題への挑戦 - 重力で腸を移動させる
逆立ちしたときのお腹の中 ◆ 重力を利用して行う腹腔鏡手術 ◆ スペース確保がしづらい患者としやすい患者 ◆ 腹腔鏡手術の歴史と進歩 - ロボットが牽引する新しい外科学
アメリカ陸軍と遠隔手術 ◆ 手塚治虫が由来
- 現代医療におけるメスの進歩
- 第5章 人体を脅かすもの
- 悲惨なウイルス漏洩事件
天然痘で死亡した最後の人類 ◆ 世界史を変えた感染症 ◆ ワクチンを生んだ天然痘 - 目に見えない脅威
一酸化炭素は怖い ◆ 一酸化炭素中毒の症状 - 長らく知られなかった肺がんリスク
急増した肺がん ◆ たばこはどのように普及したのか ◆ 日本でも爆発的に普及したたばこ - 生命を完全に破壊する光線
東海村の原子力事故 ◆ 放射線に無知であった人類 ◆ マリ・キュリーの功績と不運な死 ◆ 放射線を用いたがん治療 - 発症すると必ず死ぬ病気
狂犬病は多くの人命を奪う ◆ 紀元前から知られた狂犬病 ◆ 狂犬病ワクチンを生み出した救世主 - テロに用いられた神経毒
地下鉄サリン事件 ◆ ニューロンの構造と伝達のしくみ ◆ 時間との戦い
- 悲惨なウイルス漏洩事件
- おわりに
- 読書案内
- 巻末付録 超圧縮 医学の歴史
- 参考文献
前著『すばらしい人体』では「すばらしい肛門」がセールスに役立っていたけれども、『すばらしい医学』のエピソードも、なかなか興味深い。そのひとつが、ゲームで生じた腱の炎症、Nintendinitis。検索すると、元ネタは745語の「コレスポンデンス」だった。年代と、大人と子どもがいっしょにプレイしていたことからすると、スーパーファミコンのスーパーマリオワールドあたりだろう。
どうやら、NEJMに掲載されたことが箔づけになったようだ。元ネタは原著論文ではなくコレスポンデンスで、具体的な機種名やゲーム名も言及無く再現性が担保されていない。こんな話どうよという、ただの楽しいネタ振りだったんだと思われる。右母指の外転筋腱としか記載されていないが、整形外科関係では知られていたドケルバン病(狭窄性腱鞘炎)かも。
- Hart, E. J. Nintendinitis. N. Engl. J. Med. 322, 1473–1474 (1990). doi: 10.1056/nejm199005173222020
引用が無いが、この辺のプロットはレジデントノートの過去記事に似ている(時系列が逆なだけ)。「こんなにも面白い医学の世界」という連載で、単行本化もされている。
- 中尾篤典. テレビゲームが疾患を生む? レジデントノート2017年5月号 (2017). https://www.yodosha.co.jp/rnote/trivia/trivia_9784758115865.html
第2章には、抗生剤はもちろん、いろいろな重要な医薬が登場する。たとえばワルファリンなら、発見・開発から、殺鼠剤としてのワルファリンに対する耐性を獲得したスーパーラットの話まで。
第3章は、外科学の歴史。ビルロートの開発した胃切除後の再建法がでてくる。解剖学実習をしていると、胃切除の後の解剖体は稀ではなく、ビルロートⅠやⅡで再建されたのをみることもある。
第4章は、現代外科学。縫合器からダビンチまで。
第5章は、いまでも脅威になっているいろいろ。一酸化炭素中毒など、知ってないと見過ごしがちで、確かに恐い。
付録の書評と、医学史。著者の読書好きがわかる。
いくつかみつけた(ページは冊子体のページ):
- p.27 迷走神経とは副交感神経の一種… :分類の階層が違う。これでいうと、動眼・顔面・舌咽も、S2~4も副交感の「一種に」なるし、反回神経はどうなんだという
- p163 鎮静薬として→鎮痛薬として
- p282 下腹部には広い空間ができる:逆立ちして空間ができたら、腹膜腔にガスが発生していることになり、すわっ腸穿孔かとなる。腹腔鏡手術で二酸化炭素が腹膜腔に入れられた状態でないと
- p283 脂肪組織でできた黄色い壁:脂肪があることもあるけれど、腸間膜の概念がどっかいってる
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