レジデントのためのヘルニア手術
ヘルニア手術は、外科研修医が最初に経験する手技のひとつだ。
本書は、鼡径ヘルニア手術の技術書、というよりも、それをネタにして外科手術を基本から学ぶための本。外科のオーベン(*)が、若い外科研修医をウンチクも語りながら教えてくれる感じ。本のオビにあるとおりだ。
筆者は長く外科に携わってきた外科専門医・消化器外科専門医。
* 若い医師を指導する役割を担う医師を指す医療業界の隠語。ドイツ語の「oben(上の)」に由来する。学会認定専門医・指導医の資格を持っていたり、大学では教授や准教授の立場を有することが多い。指導医はドイツ語で Lehrärztinnen / Lehrärzte なので、ドイツ人に「オーベン」といっても通じない。
本書には「序」に加えて、「はじめに」「おわりに」もある。ふつうのテキストなら「脚注」になるような話題が、注ではおさまりきらない分量で「フキダシ」型の記事になっている。それがページにいくつもある。
著者は2014年にもヘルニア手術の本をだしたが、「序」にあるとおり「伝えなくてはならない多くのことがまだ残されている」「説明し尽くす」というのが本書を執筆した動機らしい。そのとおりに、いろいろ語りたいのだ。まだ語り足りないくらいかもしれない。
「フキダシ」だけ読んでも興味深い。
「外科のキホンを学ぼう」というとおり、手術の下準備からだ。鼡径部なので剃毛しないといけない。外科医が自分でやるとある。事前の説明の必要も説く。サージカルクリッパーは、ヘッド部分が単回使用の使い捨てになっている、剃毛用のバリカン。
研修医向けなので、最初は「鉤持ち」から。「皮膚の切り方」「鉗子の持ち方」「電メスでの剥離」が続く。
『イラストレイテッド外科手術』にもあるとおり、腹部外科手術で大切になるのは、層構造や位置関係だ。
一方で、筆者が医学生だった1970〜80年代は、3分冊の『分担解剖学』や『日本人体解剖学』で系統解剖学を学んだものだ。解剖実習書も、難解極まりない『人体解剖実習』『実習人体解剖図譜』などだった。
『解剖実習の手びき』『入門人体解剖学』が当時はまだニューウエーブで、使っているのを教員に見つかると、「本学には馴染まない」とか訳のわからないことをいわれた。
そういう、実用から遠い解剖学を学んだことを、筆者は恨みに思っているのかもしれない。
しかしまあ、「今でも」そんなだというのは、当てはまらない。医学科の解剖学のテキストといえば局所解剖学の『グレイ解剖学』だし、本学の解剖実習書は『グラント 解剖学実習』だ。『グレイ解剖学アトラス』には、鼡径管の詳細な膜構造が載っている。
なので、将来ムダになる心配は要らない。というか、いいから「グレイ読め」。
(もし今も『分担解剖学』が教科書指定されていたら、お気の毒だけれども。もっとも、『分担』にも参画されていた養老孟司氏は1980年代当時も生体での筋膜の層の様子を講義されていたし、教員にもよるかと。)
ただし、筋膜などの層構造を解剖学実習で突き詰めるのは、じつは難しい。ホルマリン固定で筋膜が固着しているからだ。『Thiel法だから動きがわかりやすい! 筋骨格系の解剖アトラス 下肢編』のように、Thiel固定を使うと筋膜を生体のようにペリペリと剥離できる。本学では「手術手技研修センター」で卒後に学ぶことができる。
外科に解剖学が重要なのは、今も昔も同じだ。発生学も、生理学もわかっていないといけない。
腹壁の層構造に沿って、鼡径ヘルニア手術が順に説明されていく。層構造の説明図は、主に矢状断面で、それぞれの層が曲線で示される。立体感がないので、なかなか難解ではある。腹壁–精索–陰嚢の層の連続性からすると、ちょっとわかりにくい表現もある気がする。『グレイ解剖学アトラス』の図と見比べながら理解していこう。
女性の鼡径ヘルニアが解説されていることも、本書の特徴だ。
巻末には、本文に出てきた外科学の偉人たちの解説がある。オーベンにウンチクを語られたときに、知っていると便利かもしれない。オーベンのプライドを傷けたり、逆襲されないよう、知ったかは控えること。
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