ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点

分析心理学にシンクロニシティ(共時性)という概念がある。複数の出来事が意味的関連を呈しながら非因果的に同時に起きることをいう。ユングによれば、人々は「集合的無意識」によって気づかないうちに交流しているらしい。最近同時期に出版された「医学書」2冊もそうなのだろうか。一方は怪談を、他方はマンガを、現代医学で解釈しようとした(シンクロニシティ、その1)。

『ブラック・ジャックの解釈学』の筆者は総合内科医で、興味深い著作が多い

本書の題材は、医療マンガの古典『ブラック・ジャック』だ。現代の疾患の概念には、『ブラック・ジャック』当時とは様変わりしているものが少なくないし、そもそも概念自体が存在しなかったのも多い。本書では、『ブラック・ジャック』のエピソードのいくつかを、現代医学に基づいて再検討が試みられている。

『ブラック・ジャックの解釈学』のカバーは、コミックスの新装版にありそうな、クールなデザインだ。カバーを外して現れる表紙のデザインが拍子抜けなのも意図的だろうか、これもコミックスにありがちだ。マンガに合わせて、右綴じ縦書きになっている。

 

カバーの下の表紙

 

著者はもともと、ピノコを題材にした博士論文を検討していたらしい。『怪談に学ぶ脳神経内科』の筆者が座敷わらしを論文にしたのとシンクロしている(シンクロニシティ、その2)。座敷わらしの方は神経内科だったが、ピノコの方は「病跡学」という聞き慣れない学問を目論んでいたようだ。

「病跡学」は、どうやら2つの学問分野が混同されたもののようだ。ひとつは過去の著名人の行動を精神医学の見地から検討するもので、英語ではpsycobiographyとも記載される。他方は、古病理学の1つで、古代人の遺体を医学的に検討する。Wikipediaの各国語版をみる限りでは、同じ呼び名でも国により内容が異なっている(DeepLで翻訳した)。

いずれにしても、現代医学による再解釈が成り立つのは、原作の描写が的確だったからだという。『怪談に学ぶ脳神経内科』にもそんな記述があった(第1章 突然の報い)(シンクロニシティ、その3)。

読者のスペクトルは、医師・医学生から一般の読者まで。各章数十の文献が引用され、専門用語も使われていて医学書然となっているが、語り口はむしろ思いつくまま闊達に、といったほうが合っている。筆者はこれを「真面目なおふざけ、でも真剣そのもの」といっている。

 

元ネタの精緻な描写を元に博士論文にしようとしていた

 

 

第1章「ピノコの誕生の裏に見えた真実!?」をみてみよう。題材になったのは、『ブラック・ジャック』単行本第2巻の「畸形嚢腫」。ブラック・ジャックが若い女性から巨大な腫瘍を摘出し、そこにあった人体のパーツをヒト型に組み立てた。「ピノコ」の生まれたエピソードだ。

 

畸形嚢腫

 

筆者はまずこの「畸形嚢腫」とされる腫瘍を鑑別していく。原作に描写されている状況から、胎児型奇形腫(日本の症例報告)と寄生体(胎児内胎児)(日本の症例報告)を鑑別診断としてあげる。

 

胎児型奇形腫と寄生体(胎児内胎児)の鑑別

 

さらに、術前に起きたオカルトを思わせるエピソード(腫瘍が手術を拒否し、テレパシーやテレキネシスを使って術者に危害を加えた)にも考察を進める。これを起こしたのがピノコではなく宿主である女性患者の「症状」であると仮説を立て、抗NMDA受容体脳炎を鑑別に上げる。腫瘍随伴症候群として生じることが多く、中でも卵巣奇形腫に伴うものが多い。幻覚、ジスキネジアなど奇異な症状を呈することで知られ、映画『エクソシスト』のモデルになった少年がこれであったと指摘されている。章末のコラムで「悪魔憑き」のエピソードが語られる。

抗NMDA受容体脳炎は、『怪談に学ぶ脳神経内科』でも取り上げられていた(シンクロニシティ、その4)。

原作をなんとなく読んで話が分かった気でいたけれども、寄生体にしろ抗NMDA受容体脳炎にしろ、意外で尤もらしい鑑別だ。他の章でも発見が多い。

 

ホスト側の抗NMDA受容体脳炎を疑う

 

章末のコラム