外科医のための局所解剖学序説 第2版 / イラストレイテッド外科手術 第3版
解剖学は哲学の一部であったり、美術の素養であったり、あるいはピュア・サイエンスでもあったけれども、実利でいえば外科学との関係が深い。いまもつづく『グレイ解剖学』初版の原題は、『Anatomy: Descriptive and Surgical』で外科学が指向されていたし、実際、著者のヘンリー・グレイは外科医で解剖学教師、附図を描いたヘンリー・カーターは外科医を目指す医学生だった。
現代の外科解剖学のテキストを2冊紹介しよう。
『外科医のための局所解剖学序説 第2版』は今年4月の新刊。2006年の初版の改訂である。月刊誌「臨床外科」への連載がもとになっている。
著者は大学医学部で肉眼解剖学と組織学の授業を担当されている。かつて小児外科の大学院を修了した医師でもある。2年半の連載中は毎月論文を書くような作業で、準備を含め4年を要したという。
初版当時、毎年30体余りの遺体に取り組んでいたという。手術でのアプローチをどうするかで形をみている。アプローチのポイントは、余計な機能破壊をせずに目的の仕事を終えられるか、それを迷子にならないようにできるかだ。つまり、
- 解剖学の教科書ではみたこともないような向きからでも迫る
- 膜構造に沿っていくと、破壊が少ない
- 発生学上の成り立ちからアプローチを考える
- 位置関係がとても重要
筆者はこれを芸術ともとらえる。形態学と生理学との折り合いをつけて術式を編み出す外科学は、たしかにその通りだろう。
本書でカバーされている局所解剖は、全身。おおむね『解剖実習の手びき』に沿って章立てされている。ただし、脳の解剖はふくまれない。
本書のタイトルに「序説」とある。タイトルに「序説」とあるテキストが、わかりやすい、簡単な、はじめてまなぶ人用の本であるはずがない。そういう本にはたぶん、違うタイトルがついている(「はじめて学ぶ」「マンガでわかる」「サルでもわかる」とか)。
本書を読むのは、なかなか骨が折れる。まず、重要なことは文章に書いてある。図を順にみればわかる、というようにはなっていない。
基本的な解剖は概ね文章で説明されていて、少なくない事柄が図示されていない。といっても、そういう図は、普通の解剖学のテキストにある。例えば、胸骨角まわりの位置関係がくわしく説明されるが、その図はない。『グレイ解剖学 第4版』なら図3.10がそれに相当する。つまり、普通の本を傍らに置いて読むのがよい。解剖を今やっている医学生ならまず、「グレイ読め」でいいか。
イラストは手術のアプローチや医療画像の向きに準じて描かれている。背面だったり、断面だったり、斜めだったりする。解剖学的にはあまり重視されない構造も、外科的に気をつけないといけないようなもの、たとえば左肋間静脈などは、詳しく取り上げられる。
見慣れないので、解剖のテキストや解剖実習でみたものや、3Dアプリでぐりぐりしたものを思い出し、じっくり考えながらかたちを追ってみよう。発生に基づいて鈍的に剥離していくようすは、解剖実習でも、あるいは発生学の復習にも、役に立つ。よく考えながら読もう。
イラストには、結合組織が、疎なもの、緻密なもの、方向性を持ったものと描き分けられ、漿膜や筋膜が描き込まれていて、剥離の参考になる。こういう図は、普通の模式的な解剖図にはあまりみかけない。内視鏡手術が一般的になってくると、組織を顕微鏡レベルの拡大でみながら手術するようになる。結合組織の方向や結びつき、そのなかの微細な血管までみえる。外科解剖図に結合組織に重点がおかれたことは、こういう外科の動向に先んずるものだった。
イラストは、筆者の原図を元にイラストレーターが仕上げたらしい。手描きのとIllustratorで描かれたらしいのとがある。僅少ながら、いくらよくみてもこうはならなそう、という図をみかけた。実物で検証しないと確認できないが。
肝胆膵のまわりの筋膜や腹膜を理解するには、発生の知識が欠かせない。できあがる過程からいって、ここには血管が横切っていない、という膜と膜の隙間がある。そこを剥離すればうまくいくわけだ。
そんなのがわかっていると、ペリペリッとうまく剥離できるようになる。そんなふうな剥離を外科医は爽快に感じるらしい。
形態の機能的な意味づけが、奥行きのある文献調査に基づいてなされている。たとえば、バルサルバ洞の役割がダビンチまで遡られている。こうした外科学史、解剖学史のまとめが、タイムスリップという囲み記事になっている。
もう一冊は、前書の連載のきっかけにもなったという、『イラストレイテッド外科手術』。消化器外科のテキストだ。
副題の「膜の解剖からみた術式のポイント」にあるとおり、腹膜や筋膜に着目し、発生学に基づいて術式が構築される。初版出版当時、その附図とともに驚きを持って迎えられた。
腹部内臓の血管や神経は、膜の中を通る。間膜があるならその中を通る。膵臓のような二次的に間膜を失ったなら、もとの間膜に血管・神経が通る。腎臓は筋膜で多重に覆われていて、そのなかを通る。こうした膜に沿って剥離する限り、大きな出血もなく、軽く剥離できる。膜を横切ろうとすると、出血だ。膜の重なりを理解するには、発生でどうなってできたかを考える。ときには、発生を逆回しするように剥離することになる。
というようなことを、解剖学実習でみて学ぼうとするのは、なかなか難しい。テキストには書いてあるんだが、実習ではどうしても膜よりは臓器や血管に重点が置かれる。そもそも遺体はホルマリン固定してあるので、筋膜は固着している。剥離しても生体のようなパリパリ感はないのだ。
イラストはとてもクリーンで、線の太さや網かけなどがそれぞれ構造上の区別を示す符牒として使われている。これを描いたのは、筆者のひとりの外科医。Illustratorで描かれたとおもわれるが、プロのアーティストのような描写力だし、医師自身が描いているので正確性には信頼を置ける。
いまでは「オペレコ」と呼ばれて、手術記録をイラストで残すことが外科医の修練になっているが、そのハシリともいえる。そしてハシリとしては、セットポイントが高かった。次作も期待したい。
その絵師をYouTubeでもみかけたので、みてみよう。
「COFFEE BREAK」と「1つ星外科医のこぼれ話」というコラムがある。「COFFEE BREAK」は、堅めなまとめ記事で、読むと役に立つ。「1つ星外科医のこぼれ話」はほんとうにこぼれ話。まあ、こういうのもないと、書くのも読むのもつらい。
内視鏡手術やロボット支援手術なども含めた最新の外科解剖学なら、前2書とは異なる解剖学が求められるだろう。病巣へのアクセスが異なるし、内視鏡のマクロレンズだとみえる世界が違う。
たとえば下記がある。絶版で入手しにくかったら、医書.jpの電子書籍をあたってみよう。
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