Medicine’s Michelangelo: The Life & Art of Frank H. Netter, MD / Atlas of Human Anatomy, 1E
Medicine's Michelangelo: The Life & Art of Frank H. Netter, M.D.
『ネッター解剖学アトラス』のアーティストとして著名な、フランク・H・ネッター氏(1906–1991)の伝記。著者は、その娘のフランシーヌさん(1944–)。
有名な医学書は多いが、それらの著者の伝記は珍しい。『グレイ解剖学』初版の著者らについての『グレイ解剖学の誕生―二人のヘンリーの1858年』はあるが、伝記というより歴史書に近い。
本書は全体で476ページあり、多数の関係者が登場し、かな〜り事細かな記述が多い。Amazon.comに、関心があるなら興味深いかも、という主旨のレビューが数件あるが、その通りだろう。一方、フランク氏の最初の妻とは妻の浮気で離婚した件など、家族でないとわからないネタも多い。若いころに描いた裸婦像とか、家族写真とか、家族を描いた作品とか、フランク氏のイラスト入りのクリスマスカードとか、家族の所蔵する作品も載っている。
ネッター氏はもともとアーティストをめざし、美術学校で学び、プロのアーティストとして仕事し始めたが、家族の希望に添って医学を学び、外科のインターンまで進んだ。しかし、ひどい不景気の最中だったために、十分な研修にはならなかったという。その後、製薬会社のCIBA(現ノバルティス)がジギタリスの販促物のイラストをネッター氏に委託したことをきっかけに、CIBAの教育部門の出版物に大きく貢献し、4,000点近いイラストを制作した。その作品は、全集として『CIBA Collection of Medical Illustrations』(8巻13冊)にまとめられた。現在作品の権利はエルゼビアが所有している。
The Netter Collection of Medical Illustrations Complete Package (Netter Green Book Collection)
『ネッター解剖学アトラス』の原著初版の制作についての章をみてみよう。
その構成を任されたのが、コロンビア大学の准教授で解剖学者のSharon Colacino氏だった。Colacino氏は先に全体の構成を決め、ネッター氏の既存の作品は見ないで、どんな図が必要かを決めていった。その後で、既存の作品の中から計画に合うものを探し、足らない図は新規に制作された。最終的に、514点の図のうち50点近くが新作になったという。
誇らしいのは、『Atlas of Human Anatomy』の製版に日本の印刷会社「第一製版」が選ばれて任されたこと。当時ちょうど、印刷技術が写真製版によるアナログから、コンピュータ画像処理を使ったデジタルに移行する時期で、そのどちらにも卓越した技術を持っていたのが第一製版だったという。そのころの印刷技術に関する文献を探してみた:
- 中村 幹. 2002. 90年代の出版印刷技術研究. 出版研究 33, 11–27. https://doi.org/10.24756/jshuppan.33.0_11
- 公益社団法人日本印刷技術協会. 人の目に映るものを記録する. 2006/05/25. https://www.jagat.or.jp/past_archives/story/9928.html
『Atlas of Human Anatomy』では、オリジナルの水彩画がすべていったん、ラージフォーマットのポジフィルムに複写され、それをもとに手作業で色調整が施された。数十年に渡って描かれた多数の作品の色彩を統一し(例えば骨の色調が全て同じになるよう)、色調を正確に再現した(例えば皮膚の色が黄色に転んで黄疸のようにならないように)。
いまなら色調整はPhotoshopやLightroomで瞬時にできるが、当時は写真技術による調整になる。原稿をYMCKの4色(イエロー、マゼンタ、シアン、墨)の版に色分解するとき、インクの発色との兼ね合いを考慮しながら、全体的に、あるいは部分的に濃く、あるいは薄くしたネガをつくる。これをマスキングといい、デジタルなら数クリックで済む作業に、複写、現像、複写…と何段階もの手技を要した。
初版は最初から、ハードカバーの豪華版と、学生向けのソフトカバーが制作された。これも第一製版である。
現在の『ネッター解剖学アトラス』にも冒頭にネッター氏の肖像写真が掲載されている。初版のこの写真の色校(色調が正確に再現されるか確認するためのカラーの校正刷り)を第一印刷が作成し、それに第一印刷の関係者2名がまずサインし、それをアメリカに送って残りの関係者がサインし、額装し、出版記念にネッター氏にプレゼントし、大変よろこばれたという。
この写真でネッター氏は葉巻をくゆらせているが、CIBAの関係者がこれを画像処理で消すよう提案したことがあったらしい。葉巻はネッター氏の嗜好物で、そのパーソナリティーとは切り離せない物であったことから、この提案は無視された。
『Atlas of Human Anatomy』の初版をみてみよう。第9刷(1997年)のソフトカバー。刊行元は、元のCIBAからNovartisに移っている。
本学図書館には所蔵されていなかったので、弘前大学付属図書館の蔵書を借りた。丸善から¥9,900で購入されたようだ。表紙に少し擦れがあり、用紙が経年変化で若干黄変しているほかは、折れ、書き込み、シミがない。25年前の本であること、その間に学習に供されたことを考慮すると、非常に状態が良い。
初めは色分解から印刷・製本まで第一製版が担ったはずだが、この第9刷の印刷は米国の印刷会社だった。
初版のネッター氏の序文は、現在の版にも掲載されている。初版には、これに加えて、ネッター氏の謝辞、ディレクターのPhilip Flagler氏による端書きも掲載されていた。これらは出版に至る経緯が分かり興味深いが、現在の版には掲載されていない。
イラストを、初版と現在の『ネッター解剖学アトラス』原著第7版とで比較してみよう。
初版の印刷も現在のと遜色なく高品質だ。微細な網点で細かなタッチまでシャープに再現されている。現在の版に比べて明度・彩度が高く、特に赤が鮮やかだ。シズル感があり、印象的。当時、初めて本を手にした人は、買いたくなったろうと思う。(色温度が低く見えるのは、用紙の黄変の影響だろう。)
一方、現在の版は彩度が抑えられ、コントラストが強く、暗部に締まりがある。初版では明部が白飛びしてディテールが一部失われていることがあったが、現在の版では修正されている。デジタル画像処理の進歩による効果だろう。
一部のイラストにはレタッチが入っていて、たとえばイラストと白地の境のタッチがぼかされていたりする。
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