Dissection: Photographs of a Rite of Passage in American Medicine 1880-1930
Dissection: Photographs of a Rite of Passage in American Medicine 1880-1930
19世紀末から20世紀初頭までの米国の医学科の解剖学実習で撮影されたポートレート写真のコレクション。当時の解剖学実習のようすを垣間見ることができる。本書の紙面はここでは多くは紹介しかねるが、ネット上にみつけることができる。
Rite of Passage = 通過儀礼
19世紀初頭、米英では解剖のための死体が不足し、盗掘が横行していた。医学校に死体を供給するため殺人を犯した「バークとヘア連続殺人事件」をきっかけに、英国で1832年に解剖が法制化された。米国でも1830〜33年のマサチューセッツ州以降、各州で解剖が法制化された(*)。これによって、解剖のための死体の供給は改善され、少人数のグループで解剖実習が行われるようになっていった。学生4〜5名で死体を剖出していく形式は、今日と概略同じだ。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、米国のコダックが写真を大衆のものにした。1888年「コダックカメラ」が発売された。1892年の「あなたはボタンを押すだけ、あとは私たちにお任せを」というコピーとともに、それまで専門の技師だけの写真が大衆に開放された。1900年、安価な「ブローニー」が発売され、一般市民に広く普及。1912年には小型で安価な「ヴェスト・ポケット・コダック」が発売されベストセラーになり、日本でも有閑な紳士達に使われるようになった。
これにともなって、米国の医学部で、解剖学実習班のポートレートを解剖体とともに(ときに秘密裏に)撮影することが流行した。チームの記念として自分たちのアルバムに貼られたり、引き延ばされて部屋に飾られたりした。絵はがきとして使われることもあった。解剖体を前にして静かにポーズをとる写真が多い。しかしなかには、解剖体にポーズを取らせたブラックユーモアのもある。
1910年頃から、医学教育が科学的思考に基づくべきとの改変が進み、おそらくは解剖への意識の変化からこのような習慣は急速に消えていった。
*日本で解剖が法制化されたのは1949年。献体の法制化は1983年。
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