ムーア人体発生学 原著第11版

ムーア人体発生学 原著第11版

ムーア人体発生学 原著第11版

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人体発生学の授業で指定されることの多いテキストのうちのひとつが久しぶりに改訂された。本書を選ぶのは、次のような人。

  • 教科書指定されている
  • 学習方法がビジュアル系
  • 教科書はiPadで読む

今回の改訂のポイントは2つある。

  • やっと改訂されて新しくなった、そのこと自体
  • 電子版が付属するようになった

日本語版の前版が2011年の原著第8版で、今回のが2022年の原著第11版。実に11年ぶり、版を2つスキップしての改訂だ。

訳者陣が入れ替わっている。監訳者自身は学生のときに『ラングマン』を指定されて使ったらしい。翻訳時点のあたらしい情報が訳注で入っていて安心できる。

 

訳注(マーカーは評者)

 

図書館の本のヤレ・スレ具合をみれば『ムーア人体発生学 原著第8版』はよく読まれていることがわかる。原著第8版の前は、2007年の原著第7版、2001年の原著第6版、1997年の原著第5版と順調に改訂が続いていた。それだけに、改訂のギャップが開くにつれて、現行を買ってすぐに改訂になる憂き目が心配になってくる。学生が自分で買う本としてはオススメしにくかった。改訂でそれが解消された。

もうひとつは、電子版の追加。前版以来、判型が大きくなっていた。原著第11版は、29.7 x 21 x 2.4 cm。『グレイ解剖学』原著第4版が27.6 x 21.6 x 4.6 cmなので、高さが2センチ高い。これでソフトカバーなので取り回しにくい。いまは大半の学生がiPadを使っているから、電子版がありがたい。電子版が付属して、旧版の12,000円+税から10,000+税と安くなった。

 

本学医学図書館の『ムーア人体発生学』の配架された棚

 

現カリキュラムで発生学の教科書の選択はむずかしい。発生学の授業は駆け足だが、CBTには発生学からも出題される。ニーズはあっても時間が足らない。

発生学には3つの視点がある:

  1. 形態学としての発生学(発生の形態変化を丁寧に観察し記述)
  2. 臨床との関連(先天異常の仕組みを発生学や発生生物学から裏付け)
  3. 発生生物学(発生の因果を細胞や分子のレベルで説明)

発生を形態でおさえておくだけでも、臨床の基礎に心強い。ここに先天異常の話しを重ねるのは、造作ない。

一方で発生生物学は実験科学として発展を続けている。これが臨床上の積年の問題を解明することもある。CBTや国試でこれらが要求されることはこれからかも知れないが、素養は持たないと先々学ぶときに困る。

教科書としてこれらの折り合いがどうつけられているか、新しい知見がどこまでフォローされているか、授業期間内にこなせる分量かが、教科書選択のポイントだ。

ムーア人体発生学』は、1と2に定評のあるテキストで、美しく明解なイラストが豊富にあるのが特徴だ。たくさんの図を追っていけば話しの大体はわかる。ヒト胚の実物をみる機会はふつう皆無なので、形態の理解には図が頼りだ。

学習方法が「ビジュアル系」の人には、とてもよく合う。「マルチ系」の人でもわかりやすいと思う。自分が何系かわからなかったら、VARKをやってみよう

一方で、発生生物学的なことは少ししかなくて、しかもこなれてない。原著第8版のころから分子生物学が入ったが、取って付けた感のまま、インテグレーションは進んでいない(具体的には、図が少ない)。元の完成されていた構造を崩していないともいえる。実際、原著第8版と第11版の目次を比較すると、全体の構成は変わっていない。元々わかりにくい『ラングマン人体発生学』が発生生物学が入ってプロポーションを崩したのと対照的だ。

 

ムーア人体発生学 原著第11版 ムーア人体発生学 原著第8版 The Developing Human, 11E The Developing Human, 8E
1 ヒトの発生への序章 ヒトの発生への序章 Introduction to Human Development Introduction to The Developing Human
2 ヒトの発生の第1週 ヒトの発生の初期:第1週 First Week of Human Development The Beginning of Human Development: First Week
3 ヒトの発生の第2週 二層性胚盤の形成:第2週 Second Week of Human Development Formation of Bilaminar Embryonic Disc: Second Week
4 ヒトの発生の第3週 胚葉の形成と初期の組織および器官の分化:第3週 Third Week of Human Development Formation of Germ Layers and Early Tissue and Organ Differentiation: Third Week
5 ヒトの発生の第4~8週 器官形成期:第4週から第8週まで Fourth to Eighth Weeks of Human Development Organogenetic Period: Fourth to Eighth Weeks
6 胎児期:第9週から出生まで 胎児期:第9週から出生まで Fetal Period: Ninth Week to Birth The Fetal Period: Ninth Week to Birth
7 胎盤と胎膜 胎盤と胎膜 Placenta and Fetal Membranes Placenta and Fetal Membranes
8 体腔,腸間膜,横隔膜 体腔,腸間膜および横隔膜 Body Cavities, Mesenteries, and Diaphragm Body Cavities, Mesenteries, and Diaphragm
9 咽頭器官,顔面,頸部 咽頭器官 Pharyngeal Apparatus, Face, and Neck The Pharyngeal Apparatus
10 呼吸器系 呼吸器系 Respiratory System The Respiratory System
11 消化器系 消化器系 Alimentary System The Digestive System
12 泌尿生殖器系 尿生殖器系 Urogenital System The Urogenital System
13 心臓循環器系 心臓循環器系 Cardiovascular System The Cardiovascular System
14 骨格系 骨格系 Skeletal System The Skeletal System
15 筋系 筋系 Muscular System The Muscular System
16 四肢の発生 体肢 Development of Limbs The Limbs
17 神経系 神経系 Nervous System The Nervous System
18 眼と耳の発生 眼と耳 Development of Eyes and Ears The Eye and Ear
19 外皮系 外皮系 Integumentary System The Integumentary System
20 先天異常 ヒトの先天性解剖学的異常あるいは先天性欠損 Human Birth Defects Congenital Anatomical Anomalies or Human Birth Defects
21 発生期によく用いられるシグナル伝達経路 発生中によくみられる情報伝達 Common Signaling Pathways Used During Development Common Signaling Pathways Used During Development

 

表紙の裏側に電子書籍のスクラッチコードがある。コインなどで銀色の表層を削ると、コードがでてくる。削り屑は、ポストイットやマスキングテープで貼り付けて集めるとまわりを汚しにくい。

電子書籍は、Elsevier社のeLibraryで提供されている。フォーマットはDRM(デジタル著作権管理)付きのPDFで、専用アプリかウエブブラウザをつかう。

また、ムービーも提供されている。こちらは、エルゼビア・ジャパン社のExpert Consultから。同名のサービスがグローバル向けに提供されているが、それとは異なる。

 

 

電子書籍を使うには、アプリをインストールし、Elsevier eLibrary – APACのアカウントでログインする(アカウントがまだなければ、新規作成)。コードを入力すれば本を使えるようになる。期限はない。

目次やサムネイルがあるので、目的のページにアクセスしやすい。ページのスクロールは十分高速で、冊子体よりも楽。イラストはベクターで、拡大によく堪える。写真の解像度は冊子体に劣るが許容できる。

設定で、単ページまたは見開き2ページにできる。画面の向きで自動で切り替わるとよいのだが、手動。ここは自動にしてほしい。

 

iPad版アプリ(下:サムネイル、左:目次、右:設定、奥:誌面)

 

ExpertConsult JPにあるムービー。右の解説文の部分にエラーが出ていたが、ムービーは動いた

 

本書のなかで最も有用で、他のテキストにない(または本書のが転載されているか、参考にされている)図を、2つみていこう。古い版では、これらの図が見返しにもあり、参照しやすくなっていた。

ひとつは、発生の進み方をカレンダーのようにまとめた図。本文は系統ごとに章立てされているので、時系列上の横のつながりを見失いがちだ。折に触れてこの図をなぞるのがいい。

もうひとつは、発生の時期と発生異常の起こりやすさを系統ごとにまとめた図。発生異常の起こりやすい時期は発生がさかんに進んでいる時期と同じなので、どの時期にどの系統の発生が進んでいるかがよくわかる。(第1〜2週は胎内致死になって「発生異常」の児にはならない)

 

発生過程のカレンダー

 

発生の時期と発生異常の起こりやすさ

 

他の図も見よう。発生過程の説明図はいずれも線画に彩色・陰影づけをしたもの。形の変化に沿って、図が並べられている。形態形成を読み取りやすい。しかしさすがに、心室中隔膜性部の成り立ちなど、難しいものは難しい。ほかのテキストの図もみくらべよう。

 

中隔の形成のまとめの図

 

心房中隔の成り立ちの図。時系列に沿って図が並べられている。

 

膜性中隔の図

 

 

原著の英語はリズム感あって読みやすいが、日本語の文章は少しわかりにくい。直訳的だったり(原文に関係代名詞があるととたんに訳語がよみにくくなる)、真正直すぎていたりして(不定冠詞を「1つ」と訳出する)スッと入ってこない。

ページの余白がたっぷりとってあるのに、文字や行間が少し詰まり気味。重要語には英語が併記されている。情報としてはあったほうがいいのだけど、読みづらくはなる。英語は小さく細いフォントで十分ではないか。重要な段落全体に斜体がかかっている。原著の通りなのだが、日本語の斜体は見づらい。ほかのデザインはできないだろうか。

 

文章の説明

 

適宜、先天奇形の成り立ちが、正常な器官形成と合わせてうまく説明されている。文章はチラ見で、図だけ追っていってもわかる。

 

 

発生生物学的な項目として、咽頭弓(鰓弓)のまとめがある。内臓頭蓋から頸部内臓の理解には欠かせない。

 

咽頭弓のまとめ

 

時々、力ないポンチ絵がある。版を超えて残っているのだが、何なんだろう。正確な図を起こすには参考にする写真がない、ということか。言わんとする内容はわかるのでいいのだが、これで1ページ使わなくともとは思う。

 

時々あるポンチ絵の例。これで1ページ使っている。

 

最後の章の分子生物学のまとめを見てみよう。

発生生物学でいろいろなところに何度も登場する分子、ソニック、HOX、デルタ=ノッチなどがカバーされている。iPS細胞やCRISPR/Cas9も入っている。

まだ説明がこなれていないし、説明は文章だけのことが多く、図が足らないか、よくない。ソニックなら説明するのにSEGAのゲームのイラストは必須だし、シグナル伝達の図は繊毛の図に重ねて描いてほしい。HOXなら、ショウジョウバエとマウスとそれぞれのクラスターを並べた図を使わない手はない。

 

ソニック

 

HOX

 

IPSとCRISPR/Cas9

 

他の章に発生生物学がどう入っているか、見てみよう。

心臓の発生では、二次心臓野が言及されている。最近の研究の進展にキャッチアップしているようだ。ただし、ここでも説明が文章主体で、そのための図が制作されていない。神経発生のところでは、ソニックによる神経板の誘導と背腹軸の決定の説明がある。しかしここの図はポンチ絵だ。もう少し神経管らしいイラストにならなかったろうか。もとからある形態学的なイラストと同じクオリティー、品数には、発生生物学のイラスト制作が追いついてこないようだ。

Larsen’s Human Embryology』や『Human Embryology and Developmental Biology』や『ギルバート発生生物学』の図を見て補いたい。

 

二次心臓野

 

ソニックによる神経管の背腹軸決定

 

 

『Developmental Biology (English Edition)』 から

 

訳文は前の版のを踏まえて、必要なところを新しく訳出し、摺り合わせているらしい。

コピペ後の摺り合わせ漏れを見つけた。下の「…形成される), 」の、閉じカッコが余って句点で終わっているところ。電子版、重版から改善を期待する。